退学が決まって10分後、教務課の男性に一室へ案内される。教務課の人には帰ってからすぐにでも自主退学の手続きをするように勧められた。

「もし、自主退学してもらえない場合は、放校という形になります。その場合は大学から完全に記録が抹消される形になります。成績も送りません。」
「あの、たったの1点足りなかっただけなんですけど、何とかならないのでしょうか?」
「え!1点!?」

母の反論を聞き、教務課の人はあからさまに動揺したが、手許にある僕の成績表らしき紙を見て、

「そんな筈はないと思いますけど…」

と落ち着きを取り戻して言う。

因みにこの動揺した様子について父と母は、

「本当に1点差しかなかったから動揺したのと違うか?今まで1点差で跳んだ奴はいなかったんだろう。」

とおめでたい見方をしていたが、僕の見解は違う。

動揺したのは母に思わぬ反論を受けたからだ。今まで「1点差」と言う事で反論してくる奴はいなかったのだろう。

だが、冷静に考えて1点差だろうと一旦追い出してしまえばどうしようもないのだからと紙を見て落ち着きを取り戻したのだ。

この時の教務課にとっては退学者を追い出すのが仕事。正直、その退学者が全出席だろうが総合試験で1点差だろうが、どうでもいいのだ。

教務課が言う。

「でも、教授会で決まった事ですし。もう覆りません。自主退学手続きをして下さい。成績については手続きが済み次第送ります。」

最早どうしようもなかった。教務課の態度から1点差ではなかったのかなと感じていた僕は、母にさっさと帰るように促した。

恐ろしいほど冷静だった。人というのはショッキングな出来事の前には反応が出来なくなるらしい。

だが、時間が経つにつれて事の重大さが身に染みてくる。

僕は就活失敗から人生逆転するどころか完全に詰んでしまったのだ。5年間無職。残されたのは退学という記録だけ。5年間の努力が全く無駄になってしまった。

更に言うとアザラシのおかげで20年目でようや
く会えた趣味を失い、前の大学の友人をほぼ全て失った。退学が加わり、高校以前の友人とも連絡を遮断している。正直惨め過ぎて連絡など取れるわけがない。もう死んだと思われた方がマシだ。

僕は帰ってから姉に事ある毎に当たり散らすようになった。

なんて気持ちが良いんだ!アザラシは、

「怒る私も辛い!」

などと自分に酔いながら言ってやがったが、奴はずっとこの気持ち良さに病み付きになっていたのだろう。

罪悪感が無いなら楽しくて仕方なかっただろうな!僕が病むのも楽しんで見てやがったんだ!あの屑は!

父は、

「また、全寮制予備校に行き直したらどうだ?」

などとふざけたことを言ってきた。

アザラシは全寮制予備校出身者だぞ!しかも2年もいた奴だ!僕は全寮制予備校のおかげで医学部に行けたが、全寮制予備校がアザラシを送り込んでいたおかげで、精神を病み、退学になったのだ!行けるわけがないだろう!

更に、父は、

「1回病院行って精神を治してもらえ!」

などと言ってきた。

今更、治した所で何になる!退学したんだぞ!こっちが留年後に病院で正式な診断受けたいと言った時は反対しやがった癖に!

所詮お前が欲しいのは息子ではなくて、医師になった息子なのだ!

しかも、こんな時に限って祖父の法事が行なわれた。田舎の祖母の家に親戚一同が集まることになる。正直行きたくなかった。惨め過ぎる。

この時期、腰痛の事もあり弱気になっていた僕はいつ死んでもいいようにアザラシや医学部に対する恨み言を遺書のように書くようになっていた。

祖母の家で男性陣で食事をすることになる。

叔父が話し掛けてきた。

「全くお前は良い人生を棒に振ったのだぞ!このまま行けば良い女も良い金も良い仕事も手に入ったんだぞ!それを演劇にうつつ抜かして!」

所詮側から見ればそう言う風にしか見えない。

今だって僕の悔しさは僕にしか理解出来ない。

この闇を晴らすには、アザラシと田代を殺すしかないんだ!奴らに味方する奴らも全員含めて!

叔父が僕に言う。

「もう医者にならないんなら社会に出る練習しないとあかん!今からお前に酒を注ぐから5秒で『ありがとうございました!』と言え!その位は出来るようにならなあかん!」

叔父が注ぎ、僕が

「ありがとうございました。」

と言う。だが、

「あかん!遅過ぎる!」

と何度もやり直しになった。僕は叔父の目を見た。

叔父の目は、アザラシの目その物だった。

3月末になり医学部から成績が送られてくる。

総合試験62点。

合格点は63点。本当に1点差だった。たったの1点差で僕は路頭に迷う事になったのだ。


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