私立医科大学を退学になった。全教科は取ったんだよ。でも、総合試験あと1点足らなくて。あと1点だぞ。温情あってもいいだろうが。

しかも、総じて楽しかった記憶が1年の1年間と2年の前半にしかないとか。去年はそこそこ楽しめたけど、でも、退学の恐怖とある人物への怒りが付いて回るし。

この大学は本当に辛かった。2年の後半からある女の先輩が手の平返したように厳しくなった。向こうでも、演劇部に入ったんだけど、3秒に1回は怒鳴り付けるし、3分に1回は意見変わるし。しかも、僕ばかりをLINEで公開処刑するし。

本人は経験者らしくて、朝遅く起きて来る。こちらは睡眠時間4時間にならざるを得ないこともあったけど、向こうは平気で2時間遅刻してきたことあったよね。あと急にゲネ入れられて僕だけ途中休憩なかったから案の定上手く体が動かなくて、先輩たち全員に非難されたことあったよな。あの時、照明にもぶつかって壊しかけたけど、そこはどうでもいいと言ってたよね。全照明破壊してやればよかった。

普段、先輩や顧問の文句ばかり抜かしてやがるくせに、本人達の前では態度変えるから誰も気づかないし。防犯カメラもないから証拠もないしな。

そのうち、緊張と恐怖で手の震えが止まらなくなった。その手の震えに対して奴は「パーキンソン病か!」などと言い捨てるし。そのうち表情も凍りつくようになって、朝も起きれなくなり、登校できなくなって、一昨年に留年になった。

そこで、去年は永久に部活に行かないつもりで休部したけど、手の震えが収まって行くにつれて、今度は怒りと悪夢がぶり返してきて。特に風呂上がりが一番きつかった。酷い時には日中でも起こることがあった。未だにまだ残ってる。これって、フラッシュバックだよな。

これは、カウンセリングだけじゃなくて、精神科に正式に診断書もらって奴を傷害罪で告訴すべきなんだろうか。それとも、裁判になっても勝てない可能性の方が高いから早く治療するなり忘れるなりして別の道を進んだ方が建設的なのかな。

あと1点だったんだぞ。結構辛かったのに我慢した僕は捨てられて、奴は好き勝手したにも関わらず医者になる。こんなん耐えられるかよ。





【関連記事】
はじめに
http://gekidanancestor.blog.jp/archives/10810635.html


ランキングに参加しています。面白かったらクリックをお願いします。

人気ブログランキングへ

退学が決まって10分後、教務課の男性に一室へ案内される。教務課の人には帰ってからすぐにでも自主退学の手続きをするように勧められた。

「もし、自主退学してもらえない場合は、放校という形になります。その場合は大学から完全に記録が抹消される形になります。成績も送りません。」
「あの、たったの1点足りなかっただけなんですけど、何とかならないのでしょうか?」
「え!1点!?」

母の反論を聞き、教務課の人はあからさまに動揺したが、手許にある僕の成績表らしき紙を見て、

「そんな筈はないと思いますけど…」

と落ち着きを取り戻して言う。

因みにこの動揺した様子について父と母は、

「本当に1点差しかなかったから動揺したのと違うか?今まで1点差で跳んだ奴はいなかったんだろう。」

とおめでたい見方をしていたが、僕の見解は違う。

動揺したのは母に思わぬ反論を受けたからだ。今まで「1点差」と言う事で反論してくる奴はいなかったのだろう。

だが、冷静に考えて1点差だろうと一旦追い出してしまえばどうしようもないのだからと紙を見て落ち着きを取り戻したのだ。

この時の教務課にとっては退学者を追い出すのが仕事。正直、その退学者が全出席だろうが総合試験で1点差だろうが、どうでもいいのだ。

教務課が言う。

「でも、教授会で決まった事ですし。もう覆りません。自主退学手続きをして下さい。成績については手続きが済み次第送ります。」

最早どうしようもなかった。教務課の態度から1点差ではなかったのかなと感じていた僕は、母にさっさと帰るように促した。

恐ろしいほど冷静だった。人というのはショッキングな出来事の前には反応が出来なくなるらしい。

だが、時間が経つにつれて事の重大さが身に染みてくる。

僕は就活失敗から人生逆転するどころか完全に詰んでしまったのだ。5年間無職。残されたのは退学という記録だけ。5年間の努力が全く無駄になってしまった。

更に言うとアザラシのおかげで20年目でようや
く会えた趣味を失い、前の大学の友人をほぼ全て失った。退学が加わり、高校以前の友人とも連絡を遮断している。正直惨め過ぎて連絡など取れるわけがない。もう死んだと思われた方がマシだ。

僕は帰ってから姉に事ある毎に当たり散らすようになった。

なんて気持ちが良いんだ!アザラシは、

「怒る私も辛い!」

などと自分に酔いながら言ってやがったが、奴はずっとこの気持ち良さに病み付きになっていたのだろう。

罪悪感が無いなら楽しくて仕方なかっただろうな!僕が病むのも楽しんで見てやがったんだ!あの屑は!

父は、

「また、全寮制予備校に行き直したらどうだ?」

などとふざけたことを言ってきた。

アザラシは全寮制予備校出身者だぞ!しかも2年もいた奴だ!僕は全寮制予備校のおかげで医学部に行けたが、全寮制予備校がアザラシを送り込んでいたおかげで、精神を病み、退学になったのだ!行けるわけがないだろう!

更に、父は、

「1回病院行って精神を治してもらえ!」

などと言ってきた。

今更、治した所で何になる!退学したんだぞ!こっちが留年後に病院で正式な診断受けたいと言った時は反対しやがった癖に!

所詮お前が欲しいのは息子ではなくて、医師になった息子なのだ!

しかも、こんな時に限って祖父の法事が行なわれた。田舎の祖母の家に親戚一同が集まることになる。正直行きたくなかった。惨め過ぎる。

この時期、腰痛の事もあり弱気になっていた僕はいつ死んでもいいようにアザラシや医学部に対する恨み言を遺書のように書くようになっていた。

祖母の家で男性陣で食事をすることになる。

叔父が話し掛けてきた。

「全くお前は良い人生を棒に振ったのだぞ!このまま行けば良い女も良い金も良い仕事も手に入ったんだぞ!それを演劇にうつつ抜かして!」

所詮側から見ればそう言う風にしか見えない。

今だって僕の悔しさは僕にしか理解出来ない。

この闇を晴らすには、アザラシと田代を殺すしかないんだ!奴らに味方する奴らも全員含めて!

叔父が僕に言う。

「もう医者にならないんなら社会に出る練習しないとあかん!今からお前に酒を注ぐから5秒で『ありがとうございました!』と言え!その位は出来るようにならなあかん!」

叔父が注ぎ、僕が

「ありがとうございました。」

と言う。だが、

「あかん!遅過ぎる!」

と何度もやり直しになった。僕は叔父の目を見た。

叔父の目は、アザラシの目その物だった。

3月末になり医学部から成績が送られてくる。

総合試験62点。

合格点は63点。本当に1点差だった。たったの1点差で僕は路頭に迷う事になったのだ。


【関連記事】
医学部再受験
http://gekidanancestor.blog.jp/archives/10810636.html


ランキングに参加しています。面白かったらクリックをお願いします。

人気ブログランキングへ

前年ぼぼ全落ちした2学期の期末は副学長の須川教授が提唱した新カリキュラムにより脳神経、運動器、循環器2、精神、消化器2の5科目が3学期の咽喉・耳鼻科、性線、妊娠の3科目と共に計8科目が連続で1月末に行なわれることになった。

負担が増大した挙句、教授陣にもゆとりが出たことを示すかの如く、ぼぼ全ての教科が過去問から変えられていた。今まで出題されていない範囲からも多く出題された。

3年生のほぼ全員が期末に対して不満を言う。因みにこの年に問題を難化させたことに手応えを感じた教授陣は次の年、更に難化させることになる。

余程留年生を出したいらしいな。この大学は。

僕は、脳神経、運動器、性線の3つを落とした。これは、難化による影響なのか、それとも前年本来の実力ならば3つで済んでいたと言う事実を示す物なのか今となっては不明だ。

2月前半の追試を受けた後は、またしても総合試験の勉強時間は2週間しかなかった。追試の結果は例によって例の如く総合試験2日前にしかわからない。ここで、選択肢が2つ出てくる。

総合試験2年分をみっちり勉強するか、それともこの年度の期末試験を全て復習することを優先するか。

僕は総合試験2年分を勉強することに拘ってしまった。前年度、自分の思い通りに勉強できなかったのが、大きな悔いとして残っていたのだろう。

これが、大きな間違いだった。総合試験に関して言うとこの方法で上手くいった試しがなかったのだ。

事実、1年目は統計と物理に、2年目は加点に救われている。加点が0、場合によってはマイナスも付いてしまうかもしれないこの状況で方向転換しないのは愚の骨頂だった。

おまけに9階のブースは椅子が全て壊れていてこの時期、腰を痛めてしまった。

1年の時と同じ様に8階のコピー機前で勉強すればよかったのだろうが、4年生で肉塊のアザラシに遭遇する確率が上がることになるためにできなかった。

追試は全て受かった物の勉強に関して方向転換できなかった僕は、1日目ぎりぎり63点だった。合格点は63点。1日目よりも難しくなる2日目で同じ様に63点取らなければならなかった。

だが、ブースでしていた弊害が1日目の夕方に出た。この日は気温が前日より大幅に下がっており、僕の服では寒さを凌げなかった。常に温室のブースで勉強していた僕は気温の変化に気付いていなかったのだ。

お腹を壊し、3時間はトイレから出られなくなった。

そんな絶不調の状態で2日目を迎える。2日目と1日目を合わせると62点だった。あと1点足りない。

数日後、偶然5年生の三島氏に遭遇して、その事を伝えると、三島氏は、

「でも、2年目で退学の危機だからそういう留年生は会議に上がるらしいよ。流石に1点差だと留年はしないと思う。」

と言った。

実家に帰った僕は念の為に父に学長に頼みに行くように頼む。僕自身が頼みに行くべきだったのかもしれないが、この時期の僕は一部の教授陣をアザラシと重ね合わせており、恐怖心から頼みに行けなくなっていた。

僕の頼みに対し、父が取った行動は、

大学に向かう前日に酒をふらふらになるまで飲み、酒が抜け切っていない状態で朝に新幹線に乗り込むことだった。

更に、大学には行けたものの学長に会えないと分かると3年生担任の森村宇三郎教授に頼み込んだ。

違うだろ!学長が無理なら普通は副学長という発想にならないかな!そして、その教授は3年生の担任を押し付けられるほど弱い立場だ!

しかも、呑気に帰った後に、

「担任に頼んであげたで。」

とか抜かしやがる。

所詮こいつは息子の危機などどうでもよかったのだろうな!

だが、周りが1点差なら大丈夫というので、僕も大丈夫なのかなという気はしていた。

無理ならアザラシを殺すつもりだった。

本当にアザラシを殺しかねないので、進級発表の日は母が付いてくる事になった。

進級発表の掲示板を母と見に行く。

1度僕の番号を見つけた気がし、喜んだ。

だが、直ぐに勘違いである事に気付き、探す。

僕の番号はどこにもなかった。あまりの衝撃にアザラシを殺す事も忘れてその場で座り込んだ。

IMG_2895


退学が確定したのだ。

この年、3年生は140人の内、演劇部前部長の双葉さんを含む25人が留年し、僕を含む5人が退学した。


進撃のアザラシ篇 完


【関連記事】
登場人物(進撃のアザラシ)
http://gekidanancestor.blog.jp/archives/20203106.html

証言(後編)
http://gekidanancestor.blog.jp/archives/20433674.html

留年
http://gekidanancestor.blog.jp/archives/19585166.html

危機×2
http://gekidanancestor.blog.jp/archives/19176227.html

国試差し入れと進級
http://gekidanancestor.blog.jp/archives/11235384.html

【参考URL】
いらすとや
http://www.irasutoya.com/2016/06/blog-post_154.html?m=1


ランキングに参加しています。面白かったらクリックをお願いします。

人気ブログランキングへ

↑このページのトップヘ